2014年11月29日

★アフガニスタン善意の人々★(2008/09/01)旧ブログ閉鎖で保存移転。

★アフガニスタン善意の人々★(2008/09/01)旧ブログ閉鎖で保存移転。
★伊藤和也さん無念★8月26日アフガニスタンで拉致殺害された非政府組織「ペシャワール会」伊藤和也さん(31)の理想に燃え迷う事無く善意の具現者として現地住民の為に身も心も尽くして来た彼の夢半ばで命を奪われた無念を想い彼の意志を引き継いでアフガニスタンに食料の自給出来る平和な暮らしが一日も早く訪れる事を祈念致します。
◆今回の事件に関しては断片的な情報でしか判断出来ませんが彼が殺されるに至った要因には幾つかの誤算が考えられます。
実行犯達は事前に伊藤さんの現地での役割、人柄なども知っており当初から殺害が目的では無く、拉致誘拐は身代金或いは政治的取引を狙っての犯行と思われます。
◆犯人グループは反政府ゲリラですがタリバンに直属する部隊では無く伊藤さんの身柄をタリバンに売り渡す事で反政府ゲリラとしての知名度昇格を期待していたのではと考えられます。或いは逆にカルザイ政権側と取引して身代金を要求するか。何れにしても伊藤さんの人柄から連行中に暴れる危険も無く山中を連れ回すのも楽だと考えた筈です。
★犯人側の誤算は地元の住民達が総出で伊藤さんを助ける為に山狩りに集まり山の向こう側の村人にも救出を呼び掛けた事で逃げ道を封鎖された為に伊藤さんを殺して村人達の注目を逸らせて逃げ道を求めたと考えられます。犯人側は外国人であり異教徒である伊藤さんを拉致誘拐しても村人達が総出で救出に出て来るとは想定外の出来事で山中に逃げ込めば伊藤さんを連れて脱出可能と考えた筈です。
◆伊藤さんが村人達から如何に信用され大切な人として自分たちで守らなければと思われていたかが結果的に最悪の事態を招いたのだと思います。
村から離れて安全な所に移動してから伊藤さんの身柄を取引材料にしてタリバンか場合によっては政府側との解放交渉を想定していたと考えられます。
◆タリバンの中枢部は事件当初、事態を把握出来ず沈黙していましたが事実が判明した時点で事件の評価に戸惑った様です。外国人は誰でもアフガニスタン国内にいる限り殺し続けるとの声明には反政府ゲリラ組織全体の戦意喪失を恐れて鼓舞する意味が読み取れます。米国の傀儡として打倒を目指すカルザイ政権の無能さを証明しタリバンこそアフガニスタンの正当な支配者であると主張する上でも、ここで弱みを見せれば今後の反政府闘争においてゲリラ勢力への国民の信頼が損なわれる。タリバンの行為は絶対的な正義であると言いたいのだと考えられます。
★ペシャワール会の歩み
ペシャワール会は中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成され1984年より現地活動を開始しました。 1986年よりアフガン難民への国内診療を開始、更にアフガニスタンにも活動範囲を広げ1991年12月アフガニスタン国内の活動拠点としてダラエ・ヌールに最初の診療所を開設。以来アフガニスタン北東部の3診療所を中心に山岳無医村での医療活動を続けています。
<以下は少し長くなりますがアフガニスタンの概略です。>
◆アフガニスタン/ウィキペディア(Wikipedia)より
1747年、イラン系遊牧民パシュトゥン人がアフシャール朝から独立して建国。
1842年、王家が分裂し分家が本家を滅ぼして王朝が交代しバーラクザーイー朝。
英国のインド支配下で実質的な植民地状態となる。
1919年、対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利し独立を達成。
★1973年、ムハンマド・ダーウード無血クーデターで国王を追放。共和制を宣言して大統領に就任。
1978年、軍事クーデター発生(四月革命)大統領一族が処刑され人民民主党政権成立。革命評議会発足。
◆1979年、ソ連軍のアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターでアミン革命評議会議長を殺害しバーブラーク・カールマル(元)副議長が実権を握り社会主義政権樹立。
★ソ連軍撤退までの間、米国のCIAはソ連に対する抵抗運動を支援し、21億ドルを費やした。ムジャヒディーンと呼ばれたこの抵抗運動の兵士の中には20以上のイスラム諸国から来た20万人の義勇兵が含まれ、後にアルカイダとなるサウジアラビア出身のオサマ・ビンラディンもその一人。 
1989年、ソ連軍撤退。反ソ連ゲリラ(ムジャヒディーン)と政府軍の間で内戦が勃発。
1992年、ムジャヒディーンが攻勢、ナジーブッラー政権崩壊(その後ほぼ無政府状態)。 
1993年、ブルハーヌッディーン・ラッバーニー指導評議会議長が大統領に就任。 
1994年、内戦が全土に広がる。この年タリバンが急成長。 
◆1996年、タリバンが全土をほぼ掌握し実効支配。旧ムジャヒディーン勢力が反タリバンで一致し北部同盟となる。 
1998年、タリバンがアフガン全土をほぼ掌握。 
2001年、9月、北部同盟のアフマド・シャー・マスード司令官暗殺。
9月11日、アルカイダがアメリカ同時多発テロを起こす。
★10月、アメリカはその報復としてアフガンに侵攻する。
11月、カブール陥落。年末にタリバン政権崩壊。
12月、アフガニスタン主要4勢力、暫定政権発足とその後の和平プロセスで合意。
国連合安全保障理事会決議で国際治安支援部隊 (ISAF) 創設、カブールの治安維持にあたる。カルザイ暫定政権発足。 
2002年、ハーミド・カルザイを暫定大統領に選出。6月、移行政権発足。 
2004年1月、新憲法制定。 
◆2004年10月9日、初の大統領選挙。カルザイが当選、正式政権発足。
選挙を前にタリバンが再結成し、南部で武装蜂起。 
2005年、総選挙・州議会選挙実施。 
2006年、駐留軍の指揮権が北大西洋条約機構(NATO)に移譲される。
5月、タリバンの攻勢強まる。7月、ISAF南部展開。10月、ISAF東部展開、計13000人がアフガニスタンに駐留。
政治勢力として有力なのは、北部同盟のイスラム協会(タジク人中心)ウズベク人勢力のイスラム民族運動、ハザラ人主体のイスラム統一党。パシュトゥーン人による旧政権勢力タリバンの反政府活動も存在。
★アフガニスタンの歴史、政治、部族関係を概観して思う事は正に複雑怪奇の一言。
<追記>中東では戦争をしない国として信用されて来た日本も自衛隊が米軍と連動して動けばテロの標的として日本人も危険に晒される!
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★どうする普天間?あらゆる選択肢を徹底検証!(再掲)
★安倍首相と天皇家のルーツ(OCNブログ人)2006/10/03<追記有り>
★琉球人は日本列島の先住民族!自己決定権は最大限に尊重すべき(国連人権委員会)
★防衛大臣はオスプレイを過大評価するな!事実を直視すれば導入は間違いだ!
★欠陥機オスプレイの自衛隊配備は間違いだ!隊員の命を危険晒す責任は誰が負う!
★オスプレイは何故、歪な異形の欠陥機になったのか?海兵隊の無理な要求が奇形の原因だ!
★オスプレイは進化した未来機では無い!歪な未完成の欠陥機を何故に評価するのか?
★オスプレイ安全神話捏造に加担した沖縄タイムス!(2012/09/28)旧ブログ閉鎖で保存移転
◆金武町米軍流弾事件の考察!(2008/12/22)旧ブログ閉鎖で保存移転。
★誰も書かない東村高江区の生き地獄!凝縮された日米同盟の不条理!(2010/12/25)旧ブログ閉鎖で保存移転。
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★2014/2/15から独自ドメイン取得で統合した私のサイトです。
★09年は琉球が薩摩に侵略され奄美五島を失い苦難の歴史が始まった1609年から400年、日本国に強制併合された琉球処分から130年目の節目の年でした。
琉球人の視点からは沖縄県民が昔の大琉球の誇りを取り戻す為には未だ暫くの時間が必要です。
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★私のメインテーマ琉球王国の歴史検証作業を再開しました。
◆尚王家の出自を巡る考察/其の壱
◆尚王家の出自を巡る考察/其の弐
☆この後は次回に続きます。
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posted by Ryukyuan.isao-pw at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | イスラム教徒と日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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